火のないところに煙は 「怖い」の基準
芦沢央『火のないところに煙は』を読んだ。古本屋に綺麗な単行本があるのをみつけて、ちょっと迷って買った。
この本に出会うのは2回目だった。新刊として書店に並んでいた時に見かけて何となく気になった記憶があった。芦沢央さんの作品は読んだことがなく、なぜ気になったのかはよくわからない。よくわからないけれど、再会したならご縁があるのだろう。こういう出会いは楽しいので2度気になった本はできるだけ買うようにしている。
適度にぞわぞわして楽しかった。筆者が実際に聞いたり体験した怪談話を小説として書き起こしたという形の作品で、フィクションなのか実話なのがちょっと考えてしまうリアルな怖さがあった。5編の何となくつながりがあるようなないような短編が、書き下ろしの終章でつながるのも楽しい。
第1話「染み」に出てくる染みについては購入の際に気になっていたので、思わず確認してゾッとした。店頭で気づかなくてよかった。
読み終わってみて、小野不由美さんの『残穢』と似ていると感じた。構成だとか文体がどうというより、読んでいて怖い感じと読み終わって怖くなくなる感じが似ていたのだと思う。どうも私が怖いと感じるものには「理解できない」と「逃れられない」の2つの要素があるらしい。怪談としては第4話の夢が怖かった。なぜ夢を見てしまうのか理解できないし、恐ろしい結果が見えているにも関わらず逃れられない。そして、よりリアルな恐怖として第2話の母親や第3話の隣人が怖かった。思考回路が理解できず、向こうからぐいぐい近づいてくるため逃れられない。人間の形をした得体のしれないモノに飲み込まれそうな気持ち悪さがある。
これらの怖さには、終章でそれらしい理由がつく。理由がついたので、なるほどねああ怖かったおもしろかったと安心して本を閉じられる。そして、『残穢』も読んでいてゾクゾクしたけれど読み終わって本を閉じたらこんな感じだったなと思った。ホラーはあまり読んでこなかったのでホラーというのはそういうものなのか、たまたまこれらがそういう読後感なのかわからないが。『残穢』を教えてくれた友人は「怖すぎて本が家にあるのも嫌だ」とのことだったのでたぶん個人差なのだろう。
伏線が先読みできてしまうところもあったけれど読みやすくて楽しかった。本屋で見かけたらまたチェックしよう。