わたしの手帳

日々の思うことや触れたものの感想など、雑多に書きます。鬱病と闘っているので、そのことも書いていきたいです。

日本におけるクリスマスの歴史①日本上陸~戦国時代のクリスマス

昨年のクリスマス、キリスト教が盛んでもない日本でなぜクリスマスというイベントが定着しているんだろうと不思議に思いました。調べてみてわかってきたことをまとめます。今回は日本での最初のクリスマスから戦国時代について。

 

・最初のクリスマス

記録に残っている日本初のクリスマスは、1552年12月25日に周防の山口町(山口県)で行われました。コスモ・デ・トルレス司祭のもと、宣教師たちが聖書物語を読み聞かせたり聖歌を歌ったりし、その後食事をとりました。フランシスコ=ザビエルが日本にキリスト教を伝えたのがその3年前、1549年の夏のことですから、おそらく1549年から何らかの形で祝われていたのではないかと推測できますが、記録には残っていません。

ちなみに当時は「クリスマス」ではなく、ポルトガル風に「ナタラ」と呼ばれていたようです。これ以降、各地でクリスマスを祝った記録が見られるようになります。

 

・盛大化するクリスマス

初めは布教活動の一環としての簡素で真面目なイベントだったクリスマス。少しずつ規模が大きくなり、合唱隊が結成されたり演劇が行われたりするようになります。1560年代にはプレゼントの交換が行われるところもありました。演劇は一般の人気が高かったようで、1566年の大分では信徒でもない人が大勢観劇にやって来たという記録があります。あまりに人が集まったせいか、キリシタンの紹介がなければ一般の人は入場禁止にしたところもあったようです。このように異教の祭りがイベントとして受け入れられることもある一方、1562年に初めて京都でクリスマスが祝われたときには夜通し投石があったなど、人々の反応は様々でした。

 

・日本のクリスマス休戦?

戦国時代の日本で「クリスマス休戦」と呼べるような出来事があったという情報を目にしました。ルイス・フロイスの手記の中に、1567年の堺近辺で対立する立場にあるキリシタン武士たちが共にクリスマスを祝ったという記述があるようです。

このとき対立していたのは織田信長軍と松永久秀軍。その両軍に所属していた武士約70名は、他の人々にキリシタンの愛や忠誠を示そうとひとつの建物に集まり、共に懺悔や食事をしたそうです。とはいっても、戦闘真っただ中のクリスマスというわけではなかった様子。松永久秀はこの頃すでに堺にはいなかった(あるいはかくれていた)と考えられており、そもそも戦ができる状態ではなかったと思われます。「クリスマス休戦」というと、激しい戦闘を一日だけ休戦したドイツ軍とイギリス軍のイメージが強くありますから、1567年の堺近辺について「クリスマス休戦」というのは少々大げさかもしれません。

 

伴天連追放令

1568年に京都に入った織田信長キリスト教を保護し、。豊臣秀吉は初めは信長のやり方を踏襲しましたが、1587年に伴天連追放令を出します。追放令とは言ってもキリスト教国との貿易は続けていて、苛烈な弾圧はありませんでした。大っぴらには布教できないという程度のものでクリスマスも行われていたようです。

このあと禁教が本格的になるのは、徳川家康のもと江戸幕府が開かれてからのことです。いわゆる「隠れキリシタン」の時代を迎えます。

 

参考資料

『クリスマス どうやって日本に定着したか』クラウス・クラハト、克美・タテノクラハト著 角川書店 1999

『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』堀井憲一郎 講談社現代新書 2017